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SWISS紀行2007 その14 ベルニナ線沿線のハイキング 1

2007年6月27日(水) 
第7日目 サンモリッツ–>オスピツィオ・ベルニナ–>ラーゴ・ビアンコ–>サッサール・マソーネ–>アルプ・グリュム–>サンモリッツ–>セガンティーニ美術館
Part1

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 今日も朝はまずまずの上天気。もう一度ベルニナ線に乗って、この線の最高地点周辺を歩く事にした。
 すっかりお馴染みになったサンモリッツ駅のホームまで、ホテルを出て2分もあれば十分だ。7時45分発のティラノ行きが定番の列車になった。(偉そうに言うが、同じ時間に2回乗っただけ・・・)
 すでに赤い電車型の駆動車ABe4/4、一部のBEMOマニアが言うアベちゃんが、お約束の重連で先頭に鎮座していた。角型ヘッドランプの最新型50番台で、52番と54番が今日の編成を引っ張る。
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 重連のセカンド、54番の車両には、なんと「箱根」とニックネームが付けられていた。このベルニナ線は箱根登山鉄道の規範になた路線で、姉妹鉄道になっているという。主要駅にはカタカナで刻まれた立派な銘板がかかっているが、これは箱根登山鉄道が寄贈したものらしい。そんなよしみで箱根と日の丸がついたらしい。RhBの動力車には駅の名がニックネームで冠せられているが、日本の箱根駅(ってあったっけ)が54番の肩書きである。
 その箱根に引かれて列車はサンモリッツを後にした。
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 今日は列車の後部につながれた1stのワゴンに乗る事にした。丸々一両1stの車両だ。いつものように誰も同乗者が無く貸しきり状態。左右の窓を開けて思い切って写真が撮れる。

 トンネルを抜けて列車はポントレジーナで停車。ここはサメダン、スクオールから来る線との乗り換え駅でもあるので必ず連絡のため結構長い時間停車する。
 停車して間もなく線路をはさんだ駅舎の方から駆け込んで来る人影があった。かなり焦っているようで、地下道を通らないといけないのに、線路を何本も乗り越えてこの列車の停まっているホームになだれ込んできた。それはなんと日本人の御夫婦だった。線路を渡っちゃ駄目!と駅員に注意されていたようだ。発車までまだ時間はたっぷりあるはずなんだけど・・・
 息を切らせて駆け込んできた御夫婦はこの貸切のワゴンに乗り込んできた。実はこれが、これから先数奇な出会いを重ねる二組目の夫婦との運命的な出会いでもあった。
 私たちよりも少し経験豊かな年齢のお二人も、自由気ままなスイス旅をエンジョイされている御様子だった。どっしり席に落ち着かれている夫人を尻目に、列車が動き出すと同時に右に左にVTRを片手に御主人は撮影に余念が無い。人のことは言えない、私もカメラを持って右往左往。閑散とした1等車はカメラを手にした亭主たちの戦場と化した。

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 大小のループを描きながら、列車は徐々に高度を上げ、ベルニナ線のハイライト部分に差しかかってきた。
 件の御夫婦とカメラ作業の合間を縫って短いやり取りがあった。
 この路線はもとより何度もスイスを訪れていると言う。スイスが好きでスイスに魅せられたスイスフリークの御夫婦であることが判明した。昨日行ってきたスールレイユからロゼック谷も数年前に踏破されたと言う。この路線の電車の風景をとるならVTRが良いとのアドバイスももらった。
 同じホテルで知り合ったNさん御夫妻と言い、この時はまだお互いの名前すら知らなかったYさん御夫妻と言い、我々よりも数段スイスに詳しい人たちと今回は偶然の出会いを体験した。これは個人旅行だからこそ、パックツアーでは味わうことの出来ない体験と言うことが出来る。

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 男どもがカメラに夢中になっているうちにベルニナ線の最高度の駅、オスピッツオ・ベルニナに列車は停車した。
 軽く挨拶をして御夫婦と別れ、我々はホームに降り立った。夏と言っても令気は鋭く、ぶるっと身震いが出る。
 ゴトゴトと列車は次のアルプ・グリュムに向かって動き出した。列車に背を向けて歩きだした途端に後ろの車両から声が聞こえた。
 遠ざかる列車の窓が大きく開き、身を乗り出しながら御主人が叫んでいた。

 「お宅たちも熟年離婚・・・・・・」

 言葉の最後が良く聞き取れなかった。多分。熟年離婚したくないので嫁さん孝行してるのですか?と言ってるらしかった。

(続く)

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