7月5日
ファッサ谷のトレッキングもあと2日。
Nさん御一行はファッサを離れて帰国の途につきます。
ボルツァーノへ向かう一行と一緒のバスでパオリーナへ。
パオリーナで彼女たちをお見送り。
ここからスキーリフトでパオリーナ小屋まで上がります。
ここは昨年も来たルート。
前は中腹のトラバースルート552番を北に向かいました。
今日は539番から549番を取り、カテナッチョ・ロダディヴィール山群の南端を回り込んでVAEL小屋へ向かいます。
明るく開けた山肌に高山植物が咲き乱れています。
今年は気候のせいかお花の勢いがないように感じます。
昨年目に付いたキンポウゲなど黄色い花が終わったのか、白や紫の花が多く、少し地味な感じです。
白や青系の花は大好きなので歓迎です。
緩い傾斜の巻き道をのんびり行くと行く手に大きな岩、そして人の群れが見えてきました。
尾根の最南端を乗り越すところに大きく突き出た岩があります。
その頂点にツンと立つ大きな鳥。
鷹の銅像、モニュメントでした。
ドロミーティ周辺は第一次世界戦争で大きな戦いがあった所です。
この地域の岩山のあちこちには当時の戦跡が残されています。
このモニュメントもその戦いに関係しているのでしょう。
詳しくはわかりませんでしたが訪れる人は多いようです。
モニュメントを後に尾根を回り込んで北の方向に進路を変えて行きます。
エーデルワイスも現れる緑の山肌を縫うように進むと、程なく前方に山小屋が見えてきました。
RODA DE VAELの山懐に抱かれたVAEL小屋です。
ファッサ谷初日、カテナッチョを越えてここまで来る予定でしたが、途中で下山しました。
今日はこの小屋までやってきました。
ここはいくつものルートが交錯する要衝、まだ早い時間なのに結構な登山者が足を休めてました。
小屋の東側に小さなピークがありました。
岩がゴツゴツと突き出たような小山です。
ピークの天辺には何人もの登山者で賑わってます。
ちょっと登ってみる事にしました。
岩の根元を回り込み、その先はルンゼ状の岩の隙間を縫うように這い上がって行くと頂上に出ます。
小さいピークでも頂点は素晴らしいものです。
遠くに見えるファッサの谷、その奥に連なる山々。
目の前には大岩壁のRODA DE VAEL。
おまけの山を楽しんできました。
小屋から545番で谷底めがけて一気に下ります。
氷河の削ったカールの谷底は、明るい緑の斜面と咲き乱れるお花畑が広がります。
草原に転がる岩に腰を下ろして昼食。
今日はきついところもなく、のんびり休養を兼ねたハイキングになりました。
谷底のプロムナードをしばらく行くと545と547の分岐が・・・あるはずなのですが、ついつい歩きやすい道を辿るうちにMalga Vaelの小屋へ出てしまいました。
545はドロミーティっぽい岩礫の斜面をトラバースするルートのはずなのですが、いつ見落としたのか・・・・。
しかし、この後気がついたのですが、このルートはどうも崖くずれか何かで荒れていて、通行が制限されていた可能性があります。
我々はこの先547をしばらく進んで545へ合流チャンペディエへ出たのですが、どうもこれは急遽案内された迂回ルートだったかもしれません。
途中何箇所かに手書きの標識がそれを物語っていたように思います。
谷底の林道から案内板に従って中腹の巻き道に出ました。
この辺りは針葉樹の林です。
我が家の周りの林でも見られるような野草が出てきてホッとします。
林の中の静かな道がスキー場らしい切り開きの斜面に出る頃、このルートも終点を迎えます。
つい数日前にも来たチャンペディエのロープウエイの終点までもう一息です。
モクモクと積雲が蒼い空に湧きがります。
夏のドロミーティらしい景色が広がってきました。
芝の広場で休憩しようとしていたら、ゴツイおじさんたちがやってきて「ここかから離れろ!ヘリが来る」と追い立てられました。
しばらくすると山の彼方からヘリが。
すぐ目の間に着陸。
すごい砂ほこり。
一瞬でカメラも顔も真っ白。
みればドクターヘリです。
急病人が出たようで、程なく病人は緊急搬送されて行きました。
ここからロープウエイで下ります。
下りた所が宿のあるヴィーゴ。
楽ですね。
早々にホテルに戻り、夕食までまだまだ時間があったので、明日ゆく予定のサンペレグリーノへのバスの情報を探りにモエーナの町まで出かけることになりました。
バスの情報も無事収集、明日はサンペレグリーノ方面を歩いてみることになりました。
(私事ですが、8月18日に手指を負傷してしまいました。幸い左手なのですが、切りどころが悪く、ひどく包帯を巻かれた状態です。なんとかこの原稿を打ったのですが、どうも思うようにキーが打てません。表現したいこともうまく打てないありさまです。なのでしばらくはペースも落ちます。内容も貧弱になります。ご容赦ください。)