2007年6月26日(火)
第6日目 サンモリッツ–>スールレイ–>コルヴァッチ–>ムルテル–>スールレイ峠–>ホテル・ロゼック・グレッチャー–>ポントレジーナ–>サンモリッツ
Part4
前の回で書いたように、ロゼック谷へ下る斜面には幾つかの渡河地点がある。上流よりも下流の方が水量も増え、侵食も激しくなるので、標高を下げて大分谷底が近くなる辺りで出くわす沢に少々苦労する。
本来なら仮設の橋でも架けられるのだろうが、雪害から守るためオフシーズンには撤去されたらしい橋は、夏本番に差し掛かった6月下旬、まだ人の渡れる状態にはなってなかった。
老人や子供の場合、少々難儀する場所だ。
お花畑の中を九十九に降りて行くと、一件の小屋の横に出た。
ガイドブックにも「一件の農家」とある。
農家といっても夏場の酪農小屋なのだろうが、まだ固く扉が閉ざされ、人影は見えない。ここに人や牛が見え隠れするようになると、今が盛りの花々もきれいさっぱり刈り取られ(食い尽くされ?)、さっぱりとしたアルプに変身するのだろう。
谷底の平坦な路は上から俯瞰した荒涼とした河原ではなく、深い緑の絨毯のような気持ちよいプロムナードだった。路がだんだん立派になって、右手に橋をやり過ごした少し先の小高いところにホテル・ロゼック・グレッチャーがあった。テラスに上がってお茶にする。
山のレストランでお楽しみのスープを私はオーダーした。麦の粒の入ったクリーミーな野菜スープで、この辺りの郷土料理らしく、各店自慢の伝統的な味を誇っている。
疲れた体にもやさしい味で、芯から体があったまる。
妻はビュッフェスタイルのデザートが気になって、お菓子のあるカウンターへ向かう。ガラスケースに何種ものケーキと、ヨーグルト、アイスクリーム、フルーツなどがきれいに並べてあり。その並んだデザートの前に立派な綱が張ってある。その綱とケースの間に入って品定めしようとした妻がウエートレスにたしなめられている。どうもその綱は、ここから入っちゃいかん!と言うバリケードらしかった。
ひと悶着のあと届いたデザートがこれだ。てんこ盛りのベリーと、ちょっと食べかけだがフルーツのタルト。どちらも美味しく、特に何の装飾も味付けも無いベリーの味は極上だった。我が家にあるラズベリーは種ばかり口に残るが、ここのは種を意識せずに胃袋に収まった。
遅れていたドイツ人のグループも大挙して到着、数度目の再会を喜んだ。何しろ橋の無い大峡谷を勇敢にも無事突破してきた喜びをお互い祝福しあった。
彼らはここから馬車に乗ってポントレジーナへ向かうらしい。我々は頑張って歩く事にした。ドイツの連中に別れの挨拶をして、ホテルを後にした。
今度は馬糞に注意しながら広い砂利道をトコトコ歩く。久しぶりの長時間歩行だ。ポントレジーナまでまだ2時間はある。
広い馬車道と分かれてトレッキング路を行く。タンネの森の中の路だが木々が疎らなせいか日本の山よりも明るい。それでも何処か懐かしい風景で、上高地から徳沢・横尾辺りへ続く山道が頭の中でオーバーラップする。また日本との比較が出てしまった。
単調な路で辟易してきた頃、遠くで線路の軋む音が聞こえてきた。木々の切れ目に赤い列車が見え隠れした。
ポントレジーナまで一投足の所まで来た。街が見えてきた。
すると急にハイカーが沸いてきた。ふとよく見ると向こうのハイカーが微笑んでいる。件のドイツ人たちだった。馬車で下ったはずだが、駅の手前で降りて、少し林道を歩いていた。
ポントレジーナからサンモリッツへはバスに乗った。シルヴァプラナ行きのバスだった。またまたドイツグループと一緒になった。彼らの宿はシルヴァプラーナだった。
長く充実した一日が終わった。普段はあまり飲まないのに、夕食の時に飲んだ地元のビールが心地よく喉を潤した。
(続く)