2007年6月22日(金)
第2日目 インターラーケン–>ブリエンツ–>インターラーケン
PART-1
もしかして晴れ?ブリエンツ・ロートホルンへ
無事予定通りインターラーケンに到着していよいよ旅のメニューを展開する段取りになった。一番心配していたのはお天気だった。出発前ネットでリアルタイムの天気と週間予報を見ていたが、悲観的な予報が出ていたからだ。
昨日はまずまずの天気で、雨粒に遭遇することはなかった。若干時差ぼけで早朝4時頃目が醒めておそるおそる外の様子を探ると、何となく空が明るい。青空が見えている気がする。安心して一眠り。それでもすぐに目が醒めて・・・空腹もある。夕べはろくなもの食ってない・・・仕方がないので近辺を一歩き。
旧市街を少し探検し、ガイドブックで紹介されていたイタリアンの店を確認して、戻る途中でパン屋を発見。ここは妻が見逃さない。目ざとく昼食用のサンドイッチを発見し即ゲットした。固めのコッペパンと言うか、フランスパンとコッペパンの中間のような姿だが、食感が絶妙で皮がすこぶる美味しい。間に挟まれているハムとチーズも秀逸。以後インターラーケンでのランチの定番になった。(写真で紹介したかったけれど、記録を探したがない。いつもそうだが食いしん坊の我が家は、まず食い気に走る。途中で気が付いて食べかけの写真を撮るのだが、このパンに限って一枚もない。想像を絶する美味しさだったか、よっぽど腹が減ったか・・・)
散歩しながらまずまずの天気と判断し、今日はブリエンツまで足を伸ばし、BRB(ブリエンツ・ロートホルン・登山鉄道)に乗ってロートホルンに行くことに決めた。
宿に戻ると少々辺りが騒がしい。7時からと聞いていた朝食が始まっている。団体さんのようだ。日本からの方たちである。混じった訳ではないが、早く食べられるので一緒に席に着いた。狭い食堂は満員だった。良く見ると別の間があってそっちは個人の人が利用するようだ。次の日からはそっちに行った。
食事はスイスの典型的なスタイル。パン・クロワッサンにハムとチーズ。シリアルにヨーグルト。リンゴなどのくだものも豊富。幸せなひと時だ。先月欧州旅行に行った近所の御夫婦は「朝食が一番御馳走だったです」とおっしゃってたのを思い出す。
インターラーケンOST駅
インターラーケンを西から東に街の中心を抜けて歩いて行く。
土産物屋、ホテル、レストラン、もしかしてお世話になるかも知れない鉄道模型やさん、公園、教会・・・いやー改めて立派な街だと感じる。
インターラーケンはまだ早朝で、ユングフラウ方面に向かう観光客もまばらで静かなものだ。
ここでSBBブルーニックからZBに名称の変わった屈指の山岳鉄道に乗る。鉄道が目当てでスイスに来たくせに、本物の鉄ちゃんじゃない「なんちゃって・鉄ちゃん」の私は、勉強不足でいつの間にかSBBのブルーニック線になっていたのを知らなかった。
乗車区間はブリエンツまで、急行だから一区間だ。時間も20分ほど。この路線に乗ったとはいえない区間だ。
先頭の機関車は氷河急行を引くMGBも使っているHGe4/4だ。ラックレール対応の山岳マシーンだ。でもこの区間は宝の持ち腐れ。
乗るのは1st。ガラガラだ。他の車両もそれ程大きな変わりは無い。この時期、しかも早朝、こんなものか。
音も無く定時に列車は出発。ブリエンツ湖とユングフラウの裏側を眺めながら静々と進む。青空があるが山顛は雲が取り巻いている。
湖と山が視界を過ぎ去ってゆく光景の中に、妙に見覚えのあるものが飛び込んできた。
駅だ。「Oberried」。シャレー風の典型的なスイスの駅だ。なぜ一瞬なのにきがかりだったか。実はこの駅を持っているのだ。鉄道模型のレイアウトに使うストラクチャーで、Kibriと言うドイツのメーカーがスイスの駅シリーズで作っているのだ。わが家の臨時鉄道にその駅が存在していたのだ。どこにあるかあまり気にしてなかったが、この線だったんだ。
登山鉄道はキリと、大雨と、大風の中
ロートホルンに登るBRBの駅は、ZBの駅と道路を挟んだ反対側にある。
朝一番の列車が出る直前だが、ここは慌てない。なぜなら一番列車は実はDLが引くのだ。ここの売りはSLが現役なこと。だとしたらSLの引く列車に乗りたい。停まっている列車には確かにスタイルこそ同じようながら現代的なDLが繋がっている。
駅員に確認すると、1時間後に出る2番列車はSLが引くとのこと。切符だけ買って、少し辺りを散策しながら時間つぶしすることにした。
雅子様云々のチョコレート屋さんとか、静かな街をブラブラしているうちに、雲行きがどうも怪しくなってきた。なんだか雷鳴の様な低い轟音も聞こえてくる。雲が次第に厚みを増すが、一部にはちょっぴり青いところも覗かせていたりして、何とも気を揉む空模様だ。
(写真は一番列車のDL)
時間が近づいたので駅に戻った。人がちょっぴり増えていた。そのほとんどは我が同胞だった。さらに一段と雲が厚くなり、何となくあたりが暗くなってきた。
続く